2016年9月16日金曜日

SAM前世療法の特異性と固有性

           SAM催眠学序説 その97 


SAM前世療法の創始は2008年です。
そして、このSAM前世療法の作業仮説は、2007年1月から2月の1ヶ月余に私あてに毎夜送信されてきた、自動書記による42通の霊信現象の内容をそのまま用いています。
この信じがたい霊信内容を、催眠を用いて検証していく過程で構築されていった前世療法こそ、SAM前世療法です。
私あて全霊信は、「SAM催眠学序説その47~72」で公開しています。

地上の人間が知り得ることのない、魂の仕組みと意識の所在など、私の守護霊団を名乗る諸高級霊からの恩恵による、きわめて特異、かつスピリチュアルな、世界中で類をみない前世療法です。 

SAM前世療法で起こる特異・固有の現象には、一般のワイス式前世療法(前世の記憶にアクセスする技法)と比較して、いくつかの解明できていない謎があります。

ワイス式前世療法でうまくいかなかったクライアントで、SAM前世療法で成功しなかった事例は今のところありません。
両方の前世療法を経験したクライアントは50名を超えています。

この両方の前世療法を経験したクライアントが報告される大きな共通項は2つあります。

①催眠中の意識状態が明らかに違う。SAM前世療法の場合、ワイス式前世療法と比べてさらに深い意識状態に入ったという自覚がある。

②ワイス式ではセラピストの質問に対して口頭で答えられるのが普通なのに、SAMの場合には前世人格の10人のうち9人程度は口頭で答えることがどうしてもできない。

この①と②について、それぞれ現時点で分かっている限りの考察をしてみます。


①について、ワイス式前世療法では、催眠学の先行研究に則った「標準催眠尺度」(米国催眠学者ヒルガード作成)によって確認することなく誘導が進められるので、どの程度の催眠深度に至ってセッションがおこなわれているかが不明です。

SAM前世療法が創始される2008年以前、私がワイス式でおこなっていた前世療法では、「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」の順に、催眠深度を成瀬悟策博士の「標準催眠尺度」を用いて確 認し、「記憶催眠」レベルの深度到達後、年齢退行によって子宮内まで退行し、その先の「子宮に宿る前の記憶(前世記憶)」がもしあるのなら、そこに戻ります、という暗示をしてい ました。
しかし、私の知る限り、ワイス式体験者は、「記憶催眠」より浅い催眠体験である印象を受けます。
それは、記憶催眠以上の深度で多くの被験者に共通して観察される、深いリラックス状態における「企図機能の低下」と、 筋肉の深い弛緩による緩慢で小声でつぶやくような発語状態が観察されないからです。


催眠学の明らかにしているところでは、「知覚催眠」レベルでは、五感が暗示通り知覚されます。
したがって、さまざまな幻覚を暗示によってつくり出すことが可能です。
また、創造活動が活性化され、自発的にイメージが次々に現れるようになります。
しかも、被験者は、そうした自発的に出てくるイメージに対して、自分が無意図的にイメージをつくり出しているという自覚を持つことはありません。

つまり自発的イメージは架空のものとは感じられず、自分の中に潜んでいた真実の記憶が自発的にイメージ化して現れてきたという錯覚をもつ可能性が大きいということです。

こ うした催眠中のイメージ体験の特性を根拠にして、大学のアカデミックな催眠研究者は、前世療法における前世の記憶とは、セラピストの期待に応えようとする無意識的心理傾向である「要求特性」がはたらき、想起された「フィクション」であると口をそろえて主張します。

私の敬愛してやまない成瀬悟策先生も、こうした立場を明確にとっておられます。
拙著『前世療法の探究』を献本したコメントで「あなたの扱っている前世の記憶はフィクションとしてとらえなさい。さもないと危ういですよ」という警告を受けています。
私の立場から反論すれば、「タエの事例」は綿密な検証の結果、これをフィクションとするには超ESP仮説を適用しない限り説明は不可能です、成瀬先生は超ESP仮説を認めておいでになりますか? そうでないとすれば、被験者里沙さんの知り得ないはずの、タエの語りと史実との一致をどのように説明されますか? ということになります。

SAM前世療法では、「知覚催眠」レベルの深度に至っていることを日本語版標準催眠尺度を用いて必ず確認します。
知覚催眠のうち、難度の高い「痛覚麻痺」までもっていってこれを確認します。
痛覚麻痺は、標準催眠尺度にはありませんが、これを用いるのは、クライアントが確実に知覚催眠に入っていることを確認するためです。
痛覚麻痺は、我慢して痛みのないふりをしても表情の歪みなどが観察され、ごまがしができないからです。

そして、知覚催眠レベルに至ることがない深度で、「魂状態の自覚」まで遡行 できないことが明らかになっているからです。
そして、知覚催眠に至れば、ほぼ誰でも記憶催眠に至ることも明らかになっています。
したがって、SAM前世療法では記憶催眠レベルの確認はおこないません。
記憶催眠を突き抜けて、さらに深度を深めていきます。

標準催眠尺度には無い「魂遡行催眠」と呼ぶ、私が独自に名付けている最深度レベルにまで深めます。
企図機能の低下により身体の自発的運動は完全停止し、筋肉・関節の深い弛緩状態にもっていきます。
SAM前世療法ではこうした催眠状態にまで誘導するので、ワイス式前世療法より深い意識状態に至ったという報告が共通してされるのではないかと推測しています。


②については、その解明は容易ではありません。
 
SAM前世療法の魂遡行状態では、顕現化した前世人格が口頭で答えられる割合は10人に1人、約10%以下しか口頭で話せません。
10人のうち9人までが、どうしても口頭で答えることができないと答えます。

ワイス式前世療法では、前世の記憶内容を音声化できないことを聞いたことがありません。
ワイス式体験者は、誰でも前世記憶のビジョンを口頭で報告することが可能です。

SAM前世療法における顕現化した前世人格が口頭で話せないという現象は、SAMの催眠深度がワイス式よりも深く、筋肉の弛緩状態がきわめて深く、声帯も弛緩し切っているので発声できないのではないか、という推測は的外れのようです。

どうも、SAM前世療法の作業仮説に理由が求めることができるのではないかと考えています。
ワイス式前世療法では、「前世の記憶として現れるビジョンをクライアントが報告する」という前提になっています。
あくまでクライアントが、「前世記憶を想起し報告する」のです。

SAM前世療法では、「顕現化した前世人格が、彼の生まれ変わりであるクライアントの身体を借りて対話する(自己内憑依)」という作業仮説でおこないます。

したがって、クライアントは普通、まず、前世人格の喜怒哀楽の感情を共体験します。
ビジョンは、それにともなって体験することになります。
感情のみの共体験で終わる場合も多くあります。
心理療法としての治癒効果は、ビジョンより感情のほうが有益ですから、前世人格の語り内容の真偽を科学的検証にかける目的でなければ、それで大きな問題はないと思っています。

セラピストの対話相手はクライアントではなく、魂表層を構成している、意識体として当時のままの感情で生きている、身体をもたない、前世人格という死者なのです。
死者である前世人格は、身体を失ってすでに長い時間を経ている存在です。
そこで、何人かの顕現化している前世人格に、なぜ話すことができないのかその理由を指で回答してもらうことを試みたところ、「肉体を失ってから長い時間が経過し、声帯と舌の操作の仕方を忘れているからどうしても声に出すことができない」という回答でした。

指や、うなづくという単純な動作なら、現世の身体を借りてその動作で回答することが可能であるということでした。
一理あるとは思いますが、さらに探究する必要があると思っています。

ここで注目すべきは、SAM前世療法においては、クライアントは前世人格の霊媒的な役割を担うということです。
私の創始したSAM前世療法は、クライアントの意識の中に憑依として顕現化した死者である前世人格と、発声器官にしろ指にしろ、クライアントの身体を借用して自己表現をする前世人格と対話するという世界の前世療法にまったく類のない作業仮説に立って展開しているのです。

つまり、クライアントは、自分の身体を自分の魂の表層に存在する前世人格に貸している霊媒的役割を担うことになっているということです。
つまり、前世人格は、自分の生まれ変わりである現世の肉体に憑依している、と考えられます。
この現象はこれまで発見されたことはなく、私はSAM前世療法独自の固有概念として「自己内憑依」と名付けています。

クライアントの魂表層から顕現化した前世人格は、現世クライアントの身体を媒介にして、現在進行形でセラピストと対話をしている、これがSAM前世療法のセッションの構図になっているということです。

「セラピスト」対「自己内憑依した前世人格」との対話、それをじっと「傾聴しているクライアントの意識」という構図をSAM前世療法の固有概念としてセッションの「三者的構図」と名付けています。
そしてまた、三者的構図が、SAM前世療法における治癒仮説でもあります。

クライアントの不都合な症状の原因を、その原因を語る前世人格の語りを傾聴することによって、「ああそうだったのか」と感情をともなった納得すること、つまり洞察が起こることによって、症状の改善が起こると考えられるのです。
この治癒仮説実証の典型が、「SAM催眠学序説その118」の先天性皮膚疾患の治癒事例として、治癒前、治癒経過の4枚の証拠写真とともに公開してあります。

そしてまた、魂の自覚状態にまで誘導し、魂表層に存在する前世人格を呼び出し対話するという固有の作業仮説に基づく前世療法は、SAM前世療法以外に世界中に絶対ありません。
そして、このような信じがたいセッション構図は、「ラタラジューの事例」によって実証されたと思っています。

SAM前世療法のこれまで述べてきた固有の仮説と技法の独自性が認められた結果、すでに流通している「前世療法」の用語があるにもかかわらず、「SAM前世療法」が、第44類(心理療法・医療分野)の登録商法として認可されています。

登録商標「SAM前世療法」は、世界に誇れる純国産の固有の前世療法だと自負しています。

一般に流通しているほとんどすべての「前世療法」は、私がワイス式と呼んでいる、あるいはそのバリエーションの、「前世記憶」にアクセスするという方法論によっておこなわれる舶来の前世療法です。
しかも、語られた前世記憶の信憑性を、科学的に検証した事例報告は皆無です。

さて、里沙さんの前世人格ラタラジューは、セッション中にネパール語話者カルパナさんと次のような現在進行形でのやりとりをしています。

里沙  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)
カルパナ  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)
里沙  O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)

つまり、前世人格ラタラジューは、ただ今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いか け、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈がすでに成り立たないことを示しています。

ラタラジュー は、現世の里沙さんの身体(発声器官)を借りて、自己内憑依して、自己表現している身体を持たない意識的存在です。
里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。

このことは、このラタラジューのセッション後に、研究資料としてお願いして書いていただいた以下の体験記録からも垣間見ることができるでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。

ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。
ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラ タラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの七八年間の生涯を現世 の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。

はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。
なぜネパール人が日本語で 話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のよ うな存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言 葉を伝えていました。

カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできまし た。
現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世人格の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験して いるかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでに ラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格 が違っていることも自覚していました。 

ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。
こういう現世の私の意識がはっきりあり、片 方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした」
という里沙さんの述懐は、彼女がラタラジューに「体を貸している」霊媒的役割を果たしたことを如実に語っていると思われます。

そして、「稲垣」対「前世人格ラタラジュー」との対話、それを傾聴している「里沙さんの意識」という関係が、前述した「三者的構図」です。

イアン・スティーヴンソンは、退行催眠中に現れた信頼できる応答型真性異言を2例あげています。
ともにアメリカ人の女性2名に現れた「イェンセンの事例(スウェーデン語会話)」と「グレートヒェンの事例(ドイツ語会話)」です。

「ラタラジューの事例」を含めると、催眠下で偶発的に起き、科学的に検証された事例で、公刊されたものとしては、世界でこれまでわずか3例の応答型真性異言しか発見されていません。

ちなみに、スティーヴンソンも「グレートヒェンの事例(ドイツ語会話)」において、私と同様、顕現化した前世人格を「トランス人格」と呼んで、応答型真性異言の話者を、クライアントとは別人格が現れて会話している(『前世の言葉を話す人々』P.9)、ととらえています。
つまり、クライアントが前世の記憶として真性異言を語ったとは考えていません。

生まれ変わりが普遍的事実であるならば、なぜもっと多くのクライアントが応答型真性異言を話さないのか、これは、ほんとうに大きな前世療法の謎です。
多くのクライアントは、日本人以外の前世人格が顕現化する事例を示すからです。

この謎について、里沙さんの守護霊に尋ねたところ、「非常にすぐれた霊媒体質を備えている者だけが、異言を話すことができる」という回答でした。

同様に、霊媒資質を備えたクライアントに顕現化した(自己内憑依した)前世人格だけが、口頭で答えることができる、と類推してよいように思われます。

13 件のコメント:

セイウチ さんのコメント...

稲垣先生、こんにちは。いつもブログを拝見させて頂いております。

私は今年の6月に東京で名倉さんにSAM前世療法をお願いしました。SAM被験者の5人に一人は口頭返答が出来ない、片やワイス式では口頭返答の出来ない被験者は皆無という現象について、あくまで私の個人的な考えですがコメントさせて頂きたく思います。

私も先生のおっしゃる通り、ワイスとSAMの作業仮説の相違によるものが原因なのではないか、と思います。ワイスではイメージを繋ぎ合わせながらの前世の記憶想起、もしくは潜在意識へのアクセス、一方SAMでは前世人格の直接の顕現化、つまり現世の者はイタコの口寄せ的な役割を担う為、前世人格(つまり霊)が出てきても、現世の者が霊媒体質でない場合、何らかの理由で前世人格は現世の者の声帯を利用しての口頭返答が出来ないのだと思います。そのメカニズムは分かりませんが、今後そちらの方でも超心理学的な研究が進むと良いな、と思っております。また、ワイス式では妄想や願望の前世が出て来る率も上がるのではなか、と思います。

応答型真正異言現象の例が非常に少ないのも、里沙さんの守護霊のおっしゃる通り、霊媒体質の被験者の中でも更に特殊で類まれな素質を萎えた被験者のみが異言で話せるというのが、現段階での最も合理的な説明なのではないか、と思います。私もセッションでは口頭で回答出来ましたが、二番目に出てきて(呼び出してもらった)前世人格のスウェーデン人エミリーが名倉さんに名前を聞かれて回答。しかし正しい発音が出来なかった為、その発音(日本語訛り)に対してエミリーが違和感を覚えていました。私自身スウェーデン語を話しますが、名倉さんとエミリーの会話は全て日本語(笑)、ネパール語を全く知らない里沙さんとは真逆でした。私は自分自身の経験から、応答型真正異言であるからこそネイティブのネパール語発音になり、前世人格の母国語であった言語を現世の者も学習している場合、どうしてもその発音が日本語訛りになってしまうのはないか、と思いました。
また、口頭で回答出来たと申しましても、私が普段使わないような単語が出て来たり、エミリーも言葉を探していましたので、応答型真正異言でない場合、前世人格も自分自身の生前のボキャブラリーや表現法と、現世の者の言葉が必ずしも合致するわけではなく(考えたら当然ですが)、霊に取っては三次元の肉体を借りての自己表現は意外と難しいものであるのかも知れないな、と思いました。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

セイウチさん
SAM前世療法の体験者として、スウェーデン語の話者として、興味深い見解をコメントしていただきありがとうございました。

あなたの「ワイス式では妄想や願望の前世が出て来る率も上がるのではなか、と思います」という見解について。
もし、ワイス式で言うところの「前世の記憶」を、現在の大脳生理学の大方の見解である「記憶は脳内に宿っている」という立場を取るとすれば、ワイス式で語られる前世の記憶は、妄想や願望、フィクション以外には考えられません。
なぜなら、死とともに脳も消滅し、脳内に宿っている記憶も当然消滅しますから、本物の前世の記憶などが出てくるはずがありえないことになるからです。
アカデミックな催眠関連学会に所属する研究者のほとんどがこのような見解をとっていますから、前世療法を認めようとしないのです。

脳の消滅後も、記憶だけはどこかに残存しているという科学的実証はありません。
もし、そういうことがあるとすれば、死後も、現世の人格や記憶や個性を保持して来世へと運搬する非物質的媒体(スティーヴンソンの用語ではこれを「心搬体」サイコフォと呼んでいます)を想定せざるをえません。
いわゆる死後存続する「魂」のような非物質的媒体を認めない限り、前世の記憶などが語られることはありえないという論理的帰結になります。
もし、脳内に前世の記憶がある、と主張するなら、ワイス式で語られた前世記憶の真偽を、科学的検証にかけて、前世記憶が真である証明をしなければなりません。
しかし、ワイス式で語られた前世の記憶の真偽をきちんと検証された事例を、私は残念ながら知りません。
拙著「タエの事例」を2006年に公刊以来、すでに10年になりますが、1000人以上はおいでになると思われるワイス式のセラピストの事例で「前世の記憶」の検証事例が未だに出てこないのは、なぜでしょうか。
前世の真偽検証に労力を惜しんで「直ればOK」で済まされているのか、「タエの事例」のような検証可能な具体的な「前世の記憶」が語られることがないのか、いずれかでしょう。

私見によれば、もしワイス式で語られた前世の記憶が真であったと実証できれば、それは里沙さんのような高い催眠感受性を備えたクライアントが、偶発的に魂状態に遡行し、魂表層の前世人格が顕現化して自分の記憶を語ったのだと考えられます。
そうした前世人格自身の語りであるのを、どこまでも現世のクライアントが前世記憶を想起している、という錯誤に陥っていると思われます。
ワイス式の考え方には「前世人格の顕現化」という視点が、完全に欠落しているからに相違ありません。

実際に、ワイス式でおこなったにもかかわらず、里沙さんは偶発的に魂状態に遡行し、タエの人格が顕現化した映像が、アンビリバーで放映された「タエの事例」の映像なのです。

同様に、イアン・スティーヴンソンの邦訳公刊されている応答型真性異言「グレートフェンの事例」(『前世の言葉を話す人々』春秋社、1995)でも、このグレートフェンというドイツ人少女のトランス人格(前世人格)を顕現化させた被験者アメリカ人女性は、里沙さんのような高い催眠感受性を備えており、偶発的に魂状態に遡行し、魂表層のグレートフェンという前世人格が顕現化し、母語であるドイツ語で語ったのだと考えられます。

さすがにスティーヴンソンも、この応答型真性異言事例を、被験者の「前世記憶」として解釈することを断念し、被験者とは別人格である「少女グレートフェンというトランス人格(前世人格)の顕現化」として解釈しています(前掲書P9)。

したがって、「グレートフェンの事例」は、魂表層には前世人格が意識体として存在している、というSAM催眠学の「魂の二層構造仮説」を支持する傍証だと考えています。

謎 さんのコメント...

生まれ変りや臨死体験の証言を幾ら沢山集めても死後の世界があって、生まれ変わりや輪廻転生があると言っても、それは科学的に実証したということにはならないのです。

その研究は彼らの期待を裏切って、いくらやっても役に立たず、かえって、「死後の世界は虚の世界である」ということの裏付けにしかならないのです。

むしろ、「死後の世界は有り得ない」とか、「あの世は無い」あるいは「あの世は虚の世界である」ということの証明には一卵性双生児やロボットの方が確かな証明になるのです。


①一卵性双生児の場合は現在ではクローン動物はできていますから、人為的に創ろうとしたり、創ろうとしたが「いや、止めて置こう」とすることは可能です。人為的にクローン人間を創ろうとすることは倫理的に問題があってできないことと思われます。
②ロボットが意識を持つことは理論的に可能であると「新しい科学」では説明することができます。
 人は生きている時でも寝たり起きたりしています。熟睡しているとき、意識はあるでしょうか。当然、「意識は無い」のです。気絶したとき、意識はあるのでしょうか。当然、「無い」のです。
 意識は「もの」ではなくて、「はたらき」なのです。動物と同様、死ねば身体も心(意識と行動)も失われるのです。輪廻転生などは実際にはありません。それは生きている人の想像によって成り立つ「虚の世界」なのです。

http://tsutsui-takeo.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-2414.html

稲垣 勝巳 さんのコメント...

謎さん
意識は「もの」ではなくて、「はたらき」なのです。動物と同様、死ねば身体も心(意識と行動)も失われるのです。輪廻転生などは実際にはありません。それは生きている人の想像によって成り立つ「虚の世界」なのです。

というあなたの主張は、私には「観念論」でしかありません。
生まれ変わり仮説を排除して、応答型真性異言「ラタラジューの事例」という確たる現象の「事実」をどのようにきちんと説明できますか?

「死後の世界は有り得ない」とか、「あの世は無い」あるいは「あの世は虚の世界である」ということの証明には一卵性双生児やロボットの方が確かな証明になるのです。

上記のあなたの主張も、「応答型真性異言」という事実のきちんとした説明に正対することを回避して別の事象を持ち出す、あなたに都合のよい論理のすり替えではありませんか。
これまで否定論を投稿してきた唯物論者と同様の、不都合な事実回避の論理展開です。

私の主張の根拠は、応答型真性異言「ラタラジューの事例」という起こった現象の「具体的事実」に基づいています。
この具体的事実に正対してください。
事実に正対して具体的に論じることから逃げて、実証のない「虚の世界」などの曖昧模糊とした観念論を主張してみても、説得力は一向にありません。

「ラタラジューの事例」は、生きている人間の想像によって成り立っている「虚の世界」で起こった現象でしょうか?

里沙さんは想像によって、学んだことのないネパール語で会話できたとでもいうのでしょうか?
だとすれば、想像によって、学んだことのない外国語で応答的に会話できることを具体的に実証してみせることです。

私の第一義は「観念より事実」、「理屈より実証」という立場です。
そして、このブログは事実を無視した観念論の応酬をする場ではありません。

私の提示している具体的事例に基づかない、実証のない観念論者のお相手はとてもできません。

あなたは、過去にも今回同様の否定論を投稿してくださった心理学関係の大学教員の経歴をお持ちのように思われますが、研究者であれば、イアン・スティーヴンソンの生まれ変わり研究関係の労作にもきちんと目を通してほしいものです。

「いかなる事象も先験的に否定せず、いかなる事象も実証なくして容認せず」、こうした研究者の基本的態度が希薄ではありませんか?
あなたの場合、観念的「虚の世界」とやらをもちだして、生まれ変わり仮説が実証されても容認せず、生まれ変わりにかかわるどのような事象も容認せず、といった観念的否定論オンリーではありませんか?

シュヴァル さんのコメント...

旅行にでておりましてしばらく投稿できませんでした

謎さんへ
>生まれ変りや臨死体験の証言を幾ら沢山集めても死後の世界があって、生まれ変わりや輪廻転生があると言っても、それは科学的に実証したということにはならないのです。

ブログをちゃんと読んでおいでとは思えない投稿に思えます。
先生の根拠となっているのは応答型真性異言の実例であって、証言集ではありません。

今一度最初から読み直されてはいかがでしょうか?

稲垣 勝巳 さんのコメント...

謎さん

生まれ変りや臨死体験の証言を幾ら沢山集めても死後の世界があって、生まれ変わりや輪廻転生があると言っても、それは科学的に実証したということにはならないのです。その研究は彼らの期待を裏切って、いくらやっても役に立たず、かえって、「死後の世界は虚の世界である」ということの裏付けにしかならないのです。

とぬけぬけと、自明で当然のように、具体的根拠抜きで、主張されることを「没論理」の観念論と言うのではありませんか。
生まれ変わりや臨死体験の研究者への根拠抜き、論理抜きの誹謗というべきでしょう。
実証の伴わない観念論だけなら、誰でも何とでも言えます。

私は、「生まれ変わり仮説」を科学的に支持するとされている応答型真性異言「ラタラジューの事例」を科学的に検証し、これが想像で成り立っている「虚の世界」のできごとではなく、「現実の世界」で起こっていることを科学的に実証できたと考えています。
その具体的証拠映像をyou-tubeに公開しています。
この具体的証拠映像の、具体的にどこが、「虚の世界」の根拠になるのか指摘できますか?
連日200を超すこのブログ読者のアクセス数があります。
研究者として、ご自分の主張を裏付けるだけの自信がおありのうえで、「ラタラジューの事例」の示している生まれ変わり仮説の実証を全否定されているはずでしょうから、どうぞ全否定される裏付けの証拠を具体的に読者にお示し願いたいと思います。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

謎さんは以下の大見得を切られたにもかかわらず、私の要求した「(生まれ変わりや臨死体験を)全否定される裏付けの証拠を具体的に読者にお示し願いたいと思います」という要求には4日経ってもコメントがありません。

その研究(生まれ変わりや臨死体験)は彼らの期待を裏切って、いくらやっても役に立たず、かえって、「死後の世界は虚の世界である」ということの裏付けにしかならないのです。

結局、とくに生まれ変わりの証拠「ラタラジューの事例」について、謎さんの具体的反論の余地がなかったと判断してよいでしょう。
あるいは、生まれ変わりを全否定する自説を言い放して、私の反論に再反論するつもりが最初からなかったかもしれません。

私の提示している具体的事例に基づかない、生まれ変わり否定の実証のない、謎さんのような観念論者のお相手はとてもできません。

謎さんのお説は、おそまつでした、と言うほかありません。

セイウチ さんのコメント...

海外で子育てをしている私の身としましては、無意識に聞いただけで外国語を覚えてくれたら、どんなに親は楽かと思います(笑)。
うちの子供達はスウェーデン人とのハーフで、スウェーデンに住んでおりますのでやはり日本語はとても弱いです。その大きな原因の一つに、私が日本語のみで話して来なかったと言うのがあります。後はもちろん日本語を聞く機会が日本語習得の上では決定的に足りないです。日本人の親が日本語のみで話している家庭(特に一人っ子家庭)のお子さんは日本語が上手だったりしますが、やはりスウェーデン語の単語を日本語文法の中に入れたり、いわゆる「ルー大柴」のような話し方をします。そうでないお子さんもいると思いますが、そういうお子さんは日本語補習校へ通っていたりします。

子供たちは母国語教育で、週に一度学校に日本人の先生が40分の日本語授業に来て下さいます。先生は生徒たちに大人気ですが、それでもやはり日本語習得は難しいです。プロである先生にも、「週に一度40分だけの授業では日本語上達には足りません。ご家庭でもっと日本語を話して下さい」とはっきりと言われています。日本語の先生のおっしゃる通りだと痛感しております。

日本語でなくとも、外国住まいで親の言語が話せる子供は、たいていは両親とも同じ言語が母国語である事が多いです。それは言語習得には十分な「聞く、話す」の練習が必須という何よりの証拠だと思います。このような世界的な事実があるのにも関わらず、どのようにして里沙さんが無意識にネパール語を習得したのか?そう主張される方がいらっしゃるならその方法を是非知りたいと思いますが、里沙さんにはネパール語習得のモチベーションが見られません。モチベーションのない人は、言語習得が出来ません。日本にも全く挨拶も日本語で出来ない在住外国人がいますが(周囲から日本語が耳に入っているはずですが)、彼らにはモチベーションがないのは明らかです。

また、もし里沙さんが周囲に内密でネパール語を習っていたと言う主張がある場合、唯一ネパール語習得が可能な方法は、里沙さんがご家庭でネパール語のみで会話する事かも知れません。ということは、ご主人もお姑様もお子様もネパール語会話上級者という条件が付きます。里沙さんは日本在住で、かつネパール語の先生がいないという大きなハンデがあるので、買い物メモまでもネパール語で書く、テレビのニュースなども全てネパール語で聞くくらいでないと習得は困難だと思います。でもこの仮説は絶対不可能で荒唐無稽ですね。

ラタラジューが現代ネパール語の「妻」という単語が分からなかったと言うのも、里沙さんがネパール語を知らないという大きな証拠になると思います。何故なら、もし里沙さんがネパール語を知っていたら、彼女の現代ネパール語の知識をラタジューが引き出してしまう可能性もあると思いました。「妻」と言う初級の単語も知らないで、どのようにネイティブスピーカーと会話が出来るのでしょうか?

そこら辺なども、里沙さんが実はネパール語会話が出来ると主張する方がいらっしゃるなら、ご意見を聞いてみたいと思いました。





シュヴァル さんのコメント...

先生も本に書かれたように言語の習得には研鑽が必要なので

応答型真性異言を棄却するのは不可能だと私は思っています

なのでここに投稿されるかたは一方的に自説を垂れ流す

2chあたりでよくみられる手法しかと利用がなくなっているということなのではないでしょうか?

謎さんも、あれから何も反応がありません。先生の主張やその根拠である

理沙さんの動画を参照していないようです

思うに、投稿してくる方の前提はそもそもこの手の話が十分な検証もなく

証言だけを集めて、生まれ変わりはあると主張しているオカルト的なサイトに

違いないと思って投稿されているということではないでしょうか?


稲垣 勝巳 さんのコメント...

シュヴァルさん

このサイトは、わざわざ「生まれ変わりの実証的探究」と題しています。

「理屈より実証、観念より事実」こそ、オカルトと混同されかねない「生まれ変わりの実証研究」にとって最大の説得力があると考えているからです。

投稿者の謎さんは、「事実」も「実証」も無視して、一方的に、おそらく感情的に、生まれ変わりのような奇怪なことがあってたまるか、という硬直した先入見にとらわれ、唯物論による観念的否定しかできないような、思考の動脈硬化症の生じている人なのだと想像できます。

私の主張が、反証可能性にひらかれているにもかかわらず、反証を挙げることができず、唯物論信仰のみの思考の動脈硬化症の生じている人には、なにを言っても無駄であることは、これまでの経験から学んでいます。付けるクスリはありません。

「ラタラジューの事例」は、難攻不落の砦に立てこもり、唯物論に真っ向から対立しながら唯物論の土台にアリの一穴を穿っています。
生まれ変わり否定論者は、この難攻不落の砦を突き崩さないかぎり、唯物論の土台に開いている穴を埋めることは絶対できません。
唯物論に不都合な事例だからといって無視や放置を決め込んでも、相変わらず唯物論の土台に開いている穴はそのままなので、唯物論絶対の信仰を脅かし続けますから。

シュヴァル さんのコメント...

全く先生のお話通りであると思います。

タイトルすらちゃんと読んでいないのではないかと思うのです。

匿名だから言いっぱなしでよいわけではないのです。

自説を主張するなら少なくとも十分な根拠が必要です。しかし、ここで否定されるかたは

そのようなものを提示されたことがありません。

私には唯物論を信じているというより、一方的に自説を挙げて他人を見下すことで

面白がっているようにしか感じないのです。

先生の主張は、応答型真性異言の実証データである理沙さんの事例を棄却的できるような

データないし、実証があれば示してほしいであると私は理解していますが

事例がからすでに5年以上が過ぎているにもかかわらず

反証できていないということは、棄却することは極めて難しいということ

ではないでしょうか?

最近も、外国人の方と通訳交えてはなしましたが、他言語の取得は聞いたぐらいでは

できない。相当の努力が必要だと思いました。

否定論者はこの点が説明できないかぎり、反証は難しいと思いますね。

迷子 さんのコメント...

皆さん、こんにちは。

う~ん、しばらく様子を見ていたのですが、反応がないですね。

 生まれ変わりを否定する根拠として、一卵性双生児の研究が挙げられていたので。
生まれ変わりにおいても、双子の研究は重要です。ご存じない方も、いらっしゃる様なので、情報を共有したいと思います。

片方もしくは、双方が、前世の記憶らしきものを話した、双生児42組、84名が今まで研究されてきました。

詳しくは、『生まれ変わりの刻印』の290ページ又は、『転生した子どもたち』のP151をお読みください。後者の方が、詳しいかと思います。
私が、一番印象に残った、ジリアン・ポロックと、ジェニファー・ポロックという一卵性双子の姉妹の事例をとりあげてみたいです。

イギリスの事例で、姉に当たる事故死した、二人の少女の記憶を持っていた、そうです。
ジリアンは、ジョアンナ(死亡当時11歳)の記憶。ジェニファーは、ジャクリーン(死亡当時6歳)の記憶、を持っていた、とされています。

ジリアンとジェニファーは、4歳半の時に字を習い始めた。ジリアンは、すぐに鉛筆を正しく持てる様になったが、ジェニファーは、ジャクリーン(死亡当時6歳)と同じ持ち方、つまり鉛筆を握りしめて、まっすぐ立てて持つというやり方をしていたそうです。そしてスティーブンソンは、長年追跡調査を続けジェニファーは20代になっても鉛筆を時おり握りしめて持つ事があったそうです。

生前ジャクリーン(死亡当時6歳)には、左の脇腹に平面のアザがあり、ジェニファーにも同じ場所に同じ様なアザがあったが、双子のジリアンには、無かったし、ジョアンナ(死亡当時11歳)にもなかった。更に、生前ジャクリーンには右目の上あたりに怪我をして3針縫った為に、跡が残った。スティーブンソンは、傷跡のはっきり残った生前の彼女の写真を確認している。そして、ジャクリーンの記憶がある、とされるジェニファーには、やはり、同じ所に母斑があったが、双子で、ジョアンナの記憶がある、とされるジリアンには、無かった。

ジリアンとジェニファーには、前世での事故死した際の母斑は見つからなかった。
これは、DNA的には同一人物である一卵性双生児でありながら、片方にしか母斑がなく、行動にも違いが出る事例ですね。

この事例にも弱点はあります。父親が、双子を最初から死んだ娘の生まれ変わりだと、決めつけていた事があります。ただし、母親は生まれ変わりを信じていなかったようです。

同一家族例なので情報の信憑性に疑問が出る。ただし母斑があるので客観的なものもある。

他にも一卵性双生児のインディカとカクシャパの事例などもあるので、気なったら調べてみてください。『転生した子どもたち』のP151に載っています。

 一卵性双生児のどちらか一方、もしくは両方一が前世を語る事例報告では、両者の行動等に違いを示すだけではなく、子どもたちが語る、前世とされる人格の差とかなりよく一致する。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

謎さんのトンチンカンな意味不明の「一卵性双生児があの世や霊魂説否定の証明になる」という短絡的主張については、肝心な「ラタラジューの事例」の反証を回避し、生まれ変わりについての一卵性双生児に関わるスティーヴンソンの先行研究にも目を通していないことを自ら暴露していますから、あほらしくて私はあえて反論することは控えていました。

謎さんの主張が的外れであることは、迷子さんが上記コメントに述べておられる通りです。
自説の根拠を検討し裏付けるために、生まれ変わりの科学的実証についての先行研究の諸著作を読まない、知的怠惰な人には、付ける薬はありません。

付ける薬はないにしても、生まれ変わりの実証的研究を「いくらやっても役に立たず、かえって、死後の世界は虚の世界であるということの裏付けにしかならない」など挑発的、 侮蔑的かつ没論理の主張を、わざわざ私のサイトに出張って述べられては、これは放置できず、きっちり徹底的に反論しておくのが管理人の務めであると思っています。