2017年11月7日火曜日

SAM催眠学序説 その107

意識は「霊体」に宿っているか


「心・脳二元論」とは、心(意識)と脳とは別物で、脳が心を生み出してはいない、ということでした。
この「心・脳二元論」の最大の弱点は、それでは意識はどこで生まれ、どこに存在しているのかが説明できないことです。

この説明は、心(意識)のような目にみえない対象を探究するには、実験・観察を手段とする現行 の科学的手法ではなんともならないものです。
そこで、探究を進めるために、私あて霊信が告知した魂・意識・霊体などの知識を「作業仮説」として手がかりにするほかないというのが私のとった立場です。

作業仮説とは、その仮説の科学的実証はいまだできないけれども、探究を進める作業ために設ける暫定的な仮説です。
フロイトにおける「イド」とか「超自我」などの構造を持つ無意識論、ユングの「老賢人」、「太母」などの元型論は、みな意識の研究を進めるための作業仮説です。

そして、私はSAM前世療法の最終過程である「魂遡行催眠」という技法を成立させるために、意識は脳にあるのではなく霊体にある、という私あて霊信の告げた「霊体仮説」を採用しています。

通信霊は、「あなたがこれまで探究してきた道のなかで、あなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えているものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。M子(注:霊信の受信者)を通し、あなたは私たちに尋ねなさい」と親切にも私に教示してくれると告げてきたのです。
 
 ここで、私が探究のてがかりにした、私あて霊信(注:SAM催眠学序説その47~72で公開)が、告げている魂の仕組みと霊体の関係について、要点を抜き出してみます。
「霊体仮説」をはじめ、「心・脳の二元論仮説」「魂の二層構造仮説」の原点は、それら霊信の真偽の検証にあるからです。

私あての第11霊信は次のように告げてきました。
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あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からでは成長は望めない。
なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在しているからである。
あなたが探究するべきものは、これまでよりさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみにあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである
それは、命あるものすべてにつながり、私たち(注:高級霊)へも強いつながりを持つ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある
あなたがこれまで探究してきた道のなかで、あなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えているものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。
M子(注:霊信の受信者)を通し、あなたは私たちに尋ねなさい。(中略) 

そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。
あなたは、今度その療法に関わるが、それだけに限定するのではなく、別のものも同時進行するのだと理解しなさい。(中略)
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こうして私の通信霊への16の疑問の回答として、第12霊信で次のように告げています。 
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前世療法で顕現化されるのは魂ではなく、魂の側面である。
傷を持つのは魂の側面であり、魂自体が傷を持つのではない。
その表層部分が傷を持つのである。
その表層部分は、これまで転生してきた者たちにより構成されている。

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私の通信霊への疑問の回答として、第13霊信で次のように告げています。
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顕在意識・潜在意識は、脳が生み出しているものではない。
すべては、魂の側面(注:「側面」を「表層」とも表現している)である者たち(注:これまでに転生してきた者たち)が作り出しているものである。
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さらに第14霊信では、私の通信霊への疑問の回答として次のように告げています。
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霊体はあなたがたという魂の側面に属するものであり、心も同様である。
その違いは、霊体は魂にその存在をゆだねているが、心はゆだねていないものである。
心は、心という存在なのだ。
だが、魂に属するものである。
魂にとって、心は道具なのだと考えなさい。
霊体とは魂ではない。
それは、あるときは、オーラ と呼ばれもする
そのものを体を包むものである。
私(注:エドガー・ケイシーを指す。第7霊信で通信霊の一員として「私はエドガー・ケイシーである」と名乗っている)が過去にリーディングした中で、アストラル体という表現を用いて説明したものである。
それは魂ではなく、それに属するものであり、肉体を保護する役割を担うものでもある。
霊体自体は、単体で動くことはできない。
それは魂とともに存在するものである。
魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。

死後、霊体は魂から離れる。
だが、それらの意識は魂に取り込まれる。
そして、魂のものとなるのだ。
霊体は、ある意味においてはあなたがたが「あなたという人間であるため」の意識を独立して持つための役割を担うものでもある。
心が個人的意識をつくるのではない。
霊体が持つのだ。(後略)
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また、第15霊信では次のように告げています。
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生と死の過程は日々おこなわれるものである。
今日という日がはじまり、あなたがたはその先へと進んでいく。
その先に、あなたの魂が、そしてあなたとともににあなたの魂から生まれた多くの者が存在し、同じものを見つめていくのだと理解しなさい。
それらの者の協力を求めるのだ。
友愛、それは自身の魂によるものこそ真の友愛である。
あなたがたは、自らの魂の側面である者たちと友情を築くのだ
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そして、第10・17霊信では次のように告げています。
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魂という存在を理解しなさい。
あなたも、一つの魂をもとに形成された側面なのだ。

あなたという存在も、側面の者であり、すべての側面の者は友であると理解しなさい。
魂は、すべての側面の者がつながりを持ち、友愛を築き与え合うことを望んでいるのだ。
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抜き書きした上記霊信告げている魂の仕組みと意識、意識と霊体の関係を要約すれば次のようになります。

①脳が意識を生み出してはいない。

②魂の表層(側面)を構成している前世の者たちが意識を生み出している。 

③魂表層の前世の者たちが生み出している意識は霊体に宿っている。

④「現世の私」も、魂表層を構成している一つである。

⑤霊体は、現世の私が私という意識を持つための役割を担っている。

⑥霊体はオーラとも呼ばれ、肉体を保護する役割を担っている。

⑦死後霊体は魂から分離し、霊体に宿っていた意識は魂に取り込まれる。


⑧魂表層を構成してる前世の者たちはつながりを持ち、友愛を築き、与え合う関係にある。

以上8点が、SAM前世療法の作業仮説の骨格となっています。


そして、意識は霊体に宿っている、とした場合に次のような現象の説明が成功するのではないかと思っています。

①SAMの特殊技法である「魂遡行催眠」は、指の霊体にある潜在意識を指そのものに担わせ、指の繰り返しの動作によって魂状態まで遡行させるという技法が成功している。意識・潜在意識が脳にあるとしたら、このような作業が成功するとは考えにくいのではないか。 
何よりも、この技法により、被験者里沙さんを「魂状態の意識」にまで遡行させ、魂表層を構成している前世人格であるラタラジューの顕現化に成功している。ラタラジュー人格は、ネパール語で会話し応答型真性異言を示したが、同様の手続きを踏めば被験者の90%以上の確率で前世人格の顕現化に成功している。こうした意識現象の事実は、霊体仮説を支持している。


②心臓移植をした場合、移植を受けた人にドナーの意識(記憶・癖・好みなど)が現れるという現象は、移植する心臓を取り囲んでいる霊体も同時に移植されることであり、移植先の人の霊体にドナーの霊体が混入すると解すれば、ドナーの意識や記憶の一部が移植を受けた人に現れることは説明可能ではないか。

③体外離脱した人が、離脱中に見聞した記憶を報告することが説明できるのではないか。つまり、魂とともに霊体も離脱するので、魂が見聞し記憶している意識を霊体が持つからだと説明できるのではないか。
臨死体験研究者キュブラー・ロスの報告によれば、全盲の人が対外離脱中に部屋にいる人の服の色・形を正しく報告した。ということは、魂は、肉体の全盲という障害とは関係なく五感を感知する能力を持っていることになるのではないか。

④統合失調症の典型的症状に幻聴(自分ではない者の声が聞こえるという訴え)は、患者の霊体に未浄化霊が侵入した(憑霊した)と考えれば、進入した未浄化霊の意識が幻聴を起こしていると解することができるのではないか。
実際に浄霊作業によって統合失調症を治療した記録(米精神科医ウィックランド『迷える霊との対話』)がある。また、私も未浄化霊の浄霊作業によって統合失調症の19歳男子大学生の症状改善に成功している。

⑤幻肢という意識現象がある。
手足を切断しているにもかかわらず、ないはずの手足の痛みなどをあるごとく感じる現象である。
これは手足を取り囲んでいた霊体が何かの理由で切断後もそのまま残存して、切断時の痛みの意識を訴えているという説明が可能ではないか。

⑥SAM前世療法のセッション中に顕現化する未浄化霊に、何を目安に憑依するのかを尋ねると、被憑依者のオーラに宿る意識を感知して憑依すると答える。つまり、被憑依者が、未浄化霊に対して共感や受容する意識を持っているかを、そうした意識が宿るオーラによって判断するということらしい。そして、オーラ(霊体)に憑依すると答える。


これらの諸現象の科学的実証はできませんが、「意識は霊体に宿っている」、という仮説を採用すれば、「意識現象の事実」として現れている未解明な事実を説明することに成功するのではないかと思います。
それにしても、奇怪、奇抜な仮説ではあります。
しかし、SAM前世療法の実践によって検証・確認されてきた「意識現象の事実」は、霊体仮説および、その他の仮説の成立をすべて支持しています。

このことは、私あて霊信の教示した内容が、受信者M子さんの妄想による作文ではないことを証明していると理解できます。

そしてまた、前述第11霊信で、「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたは、今度その療法に関わる」と予言した前世療法こそ、この予言の1年後2008年に創始した「SAM前世療法」であり、その成果として、応答型真性異言「ラタラジューの事例」が2009年にあらわれたのです。

紹介した霊信現象をはじめ、アンビリバボーでTV放映された「タエの事例」、応答型真性異言「ラタラジューの事例」などは、現行唯物論とは真っ向から対立しています。

しかし、以前は唯物論側に与していた私は、いかに唯物論と対立しようとも、自ら体験してきたこうした不思議な諸現象の検証結果を前に、それを事実だと認めることに躊躇しなくなっています。
これまで唯物論側からの観念論をはじめ様々な反論を受けていましたが、これら「事実」を唯物論では突き崩すことができないでいるからです。

もし、私以外にこのような仮説を立てているという医師・療法家や霊能者を知っている読者がおいでになれば、その出所を教えてくださるとうれしく思います。

私の知るかぎりでは、米国の催眠療法家L・M ・ルクロンが、潜在意識から情報を探る技法として、観念運動による「指による方法」(「催眠のすべて」講談社現代新書、PP.62-72)という技法を紹介しています。
ただし、ルクロンはこの技法の理論的裏付けについては語っていません。
質問の回答を、潜在意識による観念運動として指に起こさせるという理解をしているようです。

5 件のコメント:

稲垣勝巳 さんのコメント...

矢部明雄さんからコメントをいただきましたが、本サイトの「投稿の留意点」の以下①②の各号
に該当すると判断しましたので削除しました。
「心・脳二元論」否定は、過去にもずいぶん論究されていますで、それをきちんとお読みになって、反証可能性に開かれた形でご投稿ください。you-tubuの動画を貼り付けただけで、具体的根拠には触れず「心・脳二元論」は「信じられないでやんす」というおふざけ調の投稿は認めることはできません。

①各記事ごとのテーマから大きく逸脱しているコメント、根拠が提示されない観念論や一般論を提示するだけのものや、根拠不明で反証可能性に閉ざされたコメントは、話題の焦点が拡散し、散漫になることを避けるため、投稿されても掲載できません。

②ご自身の意見は述べず、他者の見解を貼り付けるだけの安直・怠惰な投稿は「コメント」とは認められず掲載できません。

稲垣勝巳 さんのコメント...

「ラタラジューの事例」を除いて、「タエの事例」でも「心・脳の二元論」が成り立つと思いますか?という質問の投稿をいただきました。

これに対する私の見解は、100%とまでは断言できないが成り立つであろう、ということになります。

100%成り立つと断言できない理由を述べてみます。

イアン・スティーヴンソンが「驚くべき透視の事例」として次のような透視事例を紹介しているからです。
以下がその驚くべき透視の事例です。

これまでに最高かつ、もっとも信頼性の高い研究の対象となった霊媒の一人であるグラディス・オズボーン・レナードは、一度も行ったことのない家の中にある閉じた本に書かれた文章を何らかの方法で読み、その文章が何ページに出ているか(場合によっては、そのページのどのあたりにあるか)や、その書物が本棚のどのあたりに置かれているかを正確に言い当てる能力を持っていた。E・M・シジウィックは、レナード婦人の書籍実験に関する厳密な分析をおこなった論文を発表している。(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P.500)

もし、「タエの事例」を語った被験者里沙さんが、催眠中に突如レナード婦人同様の驚異的な透視能力を発揮して、広範囲に分散されているタエに関するあらゆる断片的情報を瞬時に入手し、それをつなぎ合わせ、加工・編集してタエの架空の物語を語ったのだ、という説明が成り立つ余地がゼロではないのかもしれません。   

つまり、生きている人間の透視能力で説明できるので、生まれ変わりなどの説明は不要であり、「心・脳の二元論」は、成り立たないというわけです。

しかし、私にはそのような驚異的透視能力を駆使するわざは到底不可能であるとしか思えません。

また、里沙さんは、なぜよりによって、見たことも聞いたこともないタエと自分を同一視しなければならないのか、説得力のある説明ができそうにありません。

彼女が、私やセッション見学者たちを驚かせるために、縁もゆかりもない架空の人物を、驚異的透視能力を発揮して作り出したとする見方と、里沙さんの前世の人格が顕現化して語ったのだとする見方と、どちらが自然な見方であるかは、明白なように思われます。

ただ、実際にレナード婦人のような驚異的透視能力者が実在する以上、里沙さんにはそのような能力が絶対にあるはずがないと断言することの科学的証明はできないのです。

猪狩進 さんのコメント...

死後の魂は完全否定されますね
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171117-00000054-sasahi-sci

稲垣勝巳 さんのコメント...

猪狩進 さん

折角の投稿なので掲載しました。

が、貼り付けられたhttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171117-00000054-sasahi-sciの記事をどこに「死後の魂が完全否定された」記述があるのか私にはまったく理解不能です。

何よりも具体論で反証し、応答型真性異言」である「ラタラジューの事例」を論破することですよ。
人工知能で学んだことのない外国語で応答的会話ができると本当に考えられますか?
タンパク質の塊である脳、その脳の内部で起こっている化学的変化と微細な電流の相互関係から「意識」が生み出されているという実証はいまだにないはずです。

そうした説明ができないうちに「魂が完全否定された」と断定することは論理的思考の怠慢・短絡でしょう。
今後、このような投稿は削除します。

稲垣勝巳 さんのコメント...

猪狩進さんは、結局、意識は脳の随伴現象であるという「心・脳の一元論」の主張でしょう。

「心・脳の二元論」の主張について、超心理理学者笠原敏雄氏の論考を紹介しておきます。
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現行の生理学や心理学の知識では、人間が自らの肉体を自在に操る仕組みが、脳からの指令という観点で、完全に説明できることになっている。確かに、脳障害の後遺症として、身体的障害や失語症が起こったり、アルコールをはじめとする薬物によって認知的、行動的障害が発生するのを見ると、そうした考え方が裏づけられるように感じられるかもしれない。しかしながらそれは、脳といういわばコンピュータが一時的ないし永続的に故障した結果、コンピュータによって操られていた周辺機器[註1]がそれまでのようには動かなくなったことを裏づける以上の証拠になるわけではない。問題は、そのコンピュータを動かしている主体は何かという点にこそなければならないのである。

ワイルダー・ペンフィールド、ジョン・エックルズ、ロジャー・スペリーなど、一時代を画した脳研究者たちは、自らの実験的研究などを通じて、そのような唯物論的見解を放棄するに至っている(ペンフィールド、1977年。エックルズ、1984年。Sperry, 1988)。特にエックルズは、1976年に開催された超心理学協会年次総会の招待講演の中で、要するに脳は心が念力で操っている[註2]のではないかとまで発言し(Eccles, 1977, p. 256)、ペンフィールドとともに、心と脳は別の実在だとする二元論を唱えているのである。

しかしながら、このような着想に至ったのはエックルズが最初ではない。次に引用するのは、エックルズ以前に提出された、イギリスの心理学者による「シン仮説」[註3]と呼ばれる仮説にまつわる発言である。
第二の仮説は〕「私〔人間〕は、念力実験で好成績を挙げる被験者がサイコロその他の物体を支配するのと同じ手段、すなわちサイ・カッパ〔=念力〕によって、自分の神経系の活動を支配している(また、自分の肉体や思路のようなものも間接的に支配している)」〔というものである〕。……生体を自在にコントロールし、知覚過程の中で生体から情報を受ける何らかの実在があると示唆しても、そこに目新しい点がないのは明らかである。魂や自己という考え方が生理学者や実験心理学者に放棄され、自由意志や認知を含むあらゆる心的過程が生体の物理的過程の単なる側面と見なされるようになる比較的最近まで、このような考え方は広く信奉されてきた。事実、19世紀半ばですら〔スコットランドの医師ジェイムズ・〕ブレイドは、「私は、脳を単なる心の器官と見な」し、「魂と身体の器官」の関係を音楽家と楽器の関係と同等なものと考えることができる、と発言することが可能だったのである(Thouless & Wiesner, 1948, pp. 197, 209-10)。

心と体の関係を扱う、いわゆる心身問題については、古来、さまざまな科学者や哲学者が好んで考察しているけれども、このように超常現象の実在を踏まえた検討は、それほど行なわれているわけではない[註4]。これ以前にも、それほど明確な形ではないものの、イギリスの物理学者ウィリアム・バレット(Barrett, 1886)、イギリスの古典学者F・W・H・マイヤーズ(Myers, 1886-87)、アメリカの超心理学者ジョゼフ・B・ライン(Rhine, 1943, p, 70)らが同様の着想を公にしているし、それ以降にも、エジンバラ大学の心理学者ジョン・ベロフ(Beloff, 1976, 79, 89)らがその考察を行なっている。また、日本大学の物理学者・堀伸夫も、自著の中でその着想を簡単に述べている。

PK〔念力〕をあり得べからざることとして簡単に否定し去ろうという人は果して心と物との関係について深く考えた上でのことであろうか。肉体という物質には作用を及ぼし得るが肉体以外の物質には間接にしか作用を及ぼし得ないということをうまく説明できる理論があるのだろうか。……これを要するに、一つの原因に対して無数にあり得る結果のうち確率の少い方向へ現象を導くとか、或は無数の可能な結果の中の特定の結果にだけ現象を導くとかいうようなことが精神力で可能ならば奇蹟は起り得るのである。……我々は今日まだ精神力の何たるかを知らない。それを知らない以上、たとえどのような「奇蹟」的事実があろうと、事実は事実として謙虚に認めるほかない。……奇蹟は今日の物理学から見て絶対不可能事ではない……もし理論上絶対不可能という結論が出るならば、事実をではなく物理学の理論の方を変えなくてはならないだろう(堀、1986年、161、163ぺージ)。

 そのような検討をしているひとりであるベロフは、最近、弱い二元論(随伴現象仮説――心は脳の活動の随伴現象にすぎないとする仮説)、強い二元論(相互作用仮説――心と脳が別の実在であるとする仮説)、一元論的唯物論という、昔から取りあげられてきた三通りの仮説をあらためて掲げ、最後の仮説を「はなはだしく直観に反している」として却下し、前二者のみについて検討を加えている。そして、

著しく直観に反し、
不合理な結論に帰着するのみならず、
これまで知られている脳の特性を考えると説明できない特異的な心理現象――超常現象――が存在する

という三通りの理由から、随伴現象仮説を棄却しているのである(Beloff, 1994)。とはいえ、超常現象の存在が随伴現象仮説――本書で言うところの唯物論的仮説――と相容れないことについては、これまでにも繰り返し指摘されてきたので、ベロフのこの結論に新味があるわけではない。(笠原敏雄ブログ「脳と心の関係」より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「応答型真性異言「ラタラジューの事例」を現行科学の方法を用いて徹底的に検証した結果、 著しく直観に反せず、不合理な結論に帰着せす、これまで知られている脳の特性を考えるかぎりでは、どうしても説明不可能な超常現象である「生まれ変わり」が存在する、と私は主張せざるをえないのです。

そして、人工知能の発達と魂の存在の有無を論じることは、カテゴリー間違いであって、紹介記事のどこにも死後の魂が否定されるなどの記述はありません。
人工知能によって魂が完全否定されるなどという断定は、人工知能の発達を拡大視し、恣意的推論によって一般化するという認知の誤りです。